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| 西暦 |
和暦 |
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| 3〜4世紀 |
古墳文化時代 |
| 326 |
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難波に日本発の架橋 |
| 612 |
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帰化人が浜名橋、猿橋など架橋 |
| 615 |
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大化の改新 |
| 645 |
大化1 |
難波宮に排水溝築造 |
| 694 |
持統5 |
藤原京に排水溝築造 |
| 708 |
和銅1 |
平城京に排水溝築造 |
| 784 |
延暦3 |
長岡京に排水溝築造 |
| 794 |
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平安京に遷都 |
| 816 |
弘仁7 |
諸司に道路の清掃を命じ、怠るものは過料とした |
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| 1583 |
天正11 |
大阪城に堀割築造(太閤下水) |
| 1590 |
18 |
家康、江戸に入る
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家康は、江戸入国に当たって、家臣の大久保藤五郎に上水をつくるように命じ、後々、藤五郎は、小石川上水を造った
利根川改修
江戸で船入堀・橋(273橋)の普請始まる |
| 1594 |
文禄3 |
関東の3水系、利根・渡良瀬・鬼怒、船運の便と治水の工事開始。三十数年後の寛永年間に完成 |
| 1600 |
慶長5 |
関ケ原の戦い |
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| 1639 |
寛永16 |
鎖国 |
| 1641 |
18 |
平戸のオランダ人を長崎出島に移す |
| 1644 |
正保1 |
幕府、暮六つ以後の川の渡渉を禁止 |
| 1648 |
慶安1 |
江戸の下水奉行、下水への投棄を禁止 |
| 1649 |
2 |
江戸の下水奉行、会所地への投棄を禁止 |
| 1651頃 |
慶安4頃 |
井ノ頭池を源とする神田川の水を、関口村(現在の文京区)に築いた大洗堰でせき上げた後、水戸藩邸(現在の後楽園一帯)まで開削路で導水し、神田川を懸樋(かけひ)で渡して、神田・日本橋方面に給水する神田上水が、江戸の町づくりと軌を一にして、完成した |
| 1652 |
承応元 |
幕府は多摩川の水を江戸に引き入れる計画を立てる
工事請負人を庄右衛門、清右衛兄弟、総奉行に老中松平伊豆守信綱、水道奉行に伊奈半十郎忠治(没後は半左衛門忠克)を命じた |
| 1654 |
3 |
玉川上水43km完成
(自然流下方式による導水路、標高差はわずか約92メートルの緩勾配) |
| 1655 |
4 |
防火対策として道の両側に井戸を造らせる
江戸の下水奉行、川への投棄を禁止 |
| 1657 |
明暦3 |
明暦の大火(振袖火事) 死者10万人 |
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大火後、江戸都市計画で隅田川の両国、永代、新大橋に初めて架橋
また、これまでの大下水、小下水、側溝に加え、雨水の下水を義務化 |
| 1658〜1672 |
万治・寛文年間 |
亀有(本所)上水、青山上水、三田上水が相次いで開設 |
| 1666 |
寛文6 |
幕府、下水奉行を廃止し、神田・本所水奉行、玉川上水奉行を任命 |
| 1682 |
天和2 |
江戸の水道工事などに 従事しながら俳句修行の芭蕉が深川の庵を処分し奥の細道へ |
| 1696 |
元禄9 |
千川上水が開設 |
| 1716 |
享保元 |
江戸に疫病、死者8万余 |
| 1739 |
元文4 |
玉川上水の管轄、玉川兄弟から幕府の管轄に |
| 1773 |
安永2 |
江戸に疫病、死者19万余 |
| 1853 |
嘉永6 |
関西でコレラ流行 |
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ペリー艦隊浦賀へ来航 |
| 1858 |
安政4 |
江戸にコレラ、死者4万人 |
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| 1870 |
明治1 |
横浜外人居留地に日本初の地下下水道(英国の陶管使用) |
| 1870〜1872 |
3〜5 |
維新後の混乱で水道を所管する組織が変転し、上水の管理が一時おろそかになり、
・玉川上水路に通船を許可
・水道料金の未徴収(〜明治7)
銀座大火 |
| 1873 |
6 |
東京銀座に下水管布設(側溝を暗きょ化) |
| 1874 |
7 |
東京に天然痘、死者3400人余 (〜明治8) |
| 1876 |
9 |
東京府下水道開設之概略 |
| 1877 |
10 |
アモイからコレラ伝播 |
| 1878 |
11 |
江戸で赤痢流行
飲料水注意報発布 |
| 1880 |
13 |
東京府水道改正設計書
(原水を沈殿、ろ過して鉄管で圧送するというもの) |
| 1881 |
14 |
横浜の外国人居留地で日本初のレンガ積下水道着工
(石造り馬蹄形管で底部は松板) |
| 1882 |
15 |
東京にコレラ流行死者5000人
避病院が造られる |
| 1883 |
16 |
横浜の外国人居留地で日本初のレンガ積下水道第1期完成
第2期着工
内務省下水局、東京府に対し神田下水など下水工事の調査を調達 |
| 1884 |
17 |
東京府神田下水施工 |
| 1886 |
19 |
夏、西からコレラ流行全国で死者1万人 |
| 1887 |
20 |
大日本私立衛生会、水道優先を建議 |
| 1888 |
21 |
東京市区改正委員会に上下水道設計調査委設置 |
| 1890 |
23 |
長崎で流行のコレラ東京へ |
| 1894 |
27 |
日清戦争が勃発
大阪市、上下水道改良事業開始 |
| 1895 |
28 |
大阪市、本田抽水所完成 (わが国初のポンプ所) |
| 1900 |
33 |
日本初の下水道法、国会で成立 |
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| 1922 |
大正11 |
東京に三河島下水処理場完成
(処理方式は標準散水ろ床法) |
| 1923 |
12 |
関東大地震
水道施設も各所で破壊され、広範囲にわたって断水を余儀なくされた。ほぼ通常の給水状態に復旧したのは3か月後の12月 |
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| 1927 |
昭和 2 |
日本に地下鉄開業 |
| 1930 |
5 |
東京砂島に下水処理場完成
名古屋市堀留熱田処理場運転開始
(わが国初の散気式活性汚泥実用化) |
| 1934 |
9 |
岐阜市わが国初の分流式下水道事業に着手 |
| 1937 |
12 |
日中戦争勃発 |
| 1941 |
16 |
太平洋戦争勃発 |
| 1945 |
20 |
東京で戦災家屋の火災等によって給水装置の約70%を失う。このため焼け跡のいたるところで漏水が発生し、漏水率は80%に及んだと推定
太平洋戦争終戦 |
| 1947〜1949 |
22〜24 |
連続して台風が関東地方を襲い出水、激流等によって水道施設の機能が損なわれ、断減水を余儀なくされた |
| 1948 |
23 |
福井市で戦後初の公共下水道事業起工 |
| 1958 |
33 |
新下水道法公布 |
| 1964 |
39 |
東京オリンピック
毎年続いていた多摩川の渇水が、最大の危機に直面。突貫工事で利根川からの通水を行なう
この頃浄水器登場。高度成長に伴い水質の汚染が問題になった。活性炭によって水を濾過するだけのタイプのため雑菌は除去できなかった |
| 1965 |
40 |
流域下水道工事始まる |
| 1966 |
41 |
流域下水道で初の処理場
猪名川流域基本法公布 |
| 1967 |
42 |
公害対策基本法公布施行
福岡市全国で始めて汚泥をコンポスト(有機肥料)にする |
| 1970 |
45 |
東京に初の光化学スモッグ
水質汚濁防止法制定公布
東京ゼロメートル地帯に幹線下水道完成
下水道法完成 |
| 1975 |
50 |
特定環境保全公共下水道事業の実施 |
| 1976 |
51 |
東京で下水汚泥のコンポスト化開始 |
| 1980 |
55 |
自動車の輸出台数6年間連続世界一
座間市や住宅公団、土壌浄化方式で雨水の大地への還元を始める |
| 1983 |
58 |
建設省流域下水道地域を見直し |